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律令制下の陸奥国

和銅5年(712年)に、最上川流域の最上郡(最上地方および村山地方)と置賜郡(置賜地方)を越後国から分割されて新しく成立した出羽国(現在の庄内地方)に譲ったため、陸奥国は上述の宮城県域と福島県域のみになった。

養老2年(718年)に、陸奥国は、陸奥国・石城国・石背国の三つに分割された。このときの陸奥国の範囲は阿武隈川下流の北岸から宮城県中部までの狭い範囲であった。阿武隈川下流の南岸以南の浜通りは石城国、阿武隈川流域の盆地群、中通り、および会津で石背国とした。石城国は、分立する際に常陸国から菊多郡をあわせた。しかし、養老6年(722年)年から神亀元年(724年)までのいずれかの時期に、三国は合同して元の陸奥国に戻った。菊多郡はそのまま陸奥に属した。
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蝦夷(えみし)の領域に接する陸奥国には、陸奥・出羽両国を統括する按察使が置かれた。陸奥国府には鎮守府が置かれ、鎮守将軍(後に鎮守府将軍)が両国を軍事的に統括した。陸奥出羽按察使、鎮守将軍とも、陸奥守が兼任することが多かった。蝦夷との戦争をへてしだいに領域を北に拡大し、最終的に突出して面積の大きな国になった。

和名類聚抄による田の面積は、5万1440町3反99歩。延喜式による租稲(租の税収)は158万2715束。都への貢進物は昆布・縒昆布・策昆布・細昆布・広昆布、薬草として甘草・秦膠・大黄・石斛・人参・附子・猪脂、筆、零羊の角。交易雑物には鹿の革、独犴(ラッコ)の皮、砂金、昆布・策昆布・細昆布があった。また、特産物の金、名馬、毛皮、羽根は都の貴族に珍重された。

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2009年06月05日 10:04に投稿されたエントリーのページです。

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